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フォーティンブラス感想

佐々木大光主演、フォーティンブラス観劇して参りました。

思うところは多く、色々な見方のできる舞台だなという印象なので、さてどうやって感想を書こうかとかなり悩んでいます。

 

私は2日観劇して、3/9はちょうど真ん中くらいから全体がよく見える席だったんですが体調がまじで死ぬほど悪くて(人にうつるやつじゃないです)、3/14はそこまで体調に問題なく、しかもかなり前で見させて頂きまして大光くんとの最短距離を間違いなく更新したんですが、近くで見るから見える身体の小さな震えとかまつ毛と眼球の動き(←言い方キモすぎる)とかが見えて、かなり印象というか感想が変わりました。

 

さて、まずはあらすじです。

お馴染みの名作『ハムレット』が華やかに上演されている、とある古ぼけた劇場。その楽屋で、売れない役者・羽沢武年が、上演中だというのにヒマしている。彼の役は、ノルウェーの若き王子、フォーティンブラス。
 役者は勇ましいが、最初の出番は、芝居が始まって約2時間15分後。それもただ舞台を通り過ぎるだけ。二番目の出番は全ての物語が決着を見た後。のこのこ登場し、最後のまとめをするだけの、いわば「刺身のツマ」。
 その上ハムレット役の大スターは、横暴で、陰険で、勝手に芝居を変えるわ、若い女優に手を出そうとするわとタチの悪いことこの上ない。武年ばかりでなく、オズリック役で恵子の恋人である岸川和馬やオフィーリアに抜擢されたバラエティタレントの刈谷ひろみさえも、そんなスターに嫌気が差し、楽屋に一触即発の不穏な空気が流れている。
そんなある夜、芝居のはねた劇場に、突然不気味な亡霊が姿を現す。亡霊は、自らを「フォーティンブラスの父」だと名乗り、そして武年に向かっていった。

“我が息子フォーティンブラスよ。さあ、今こそその汚れ亡き高潔な血を熱くたぎらせ剣を抜け。そしてその剣に、ハムレットへの復讐を誓うのだ!!”

その言葉にとまどいながらも武年は、亡霊にハムレットへの、そして大スターへの復讐を誓うのだった。しかし劇場付きの老女優、松村玉代は、亡霊の姿を見て驚いた。この男は「フォーティンブラスの父」なんかじゃない。昔、玉代が一緒に芝居をしていた俳優の岸川和春・・・・・・すなわち、オズリック役の岸川和馬の死んだ父親の亡霊だ・・・・・・しかし何故今頃、和馬の父が亡霊となって、思い出の詰まったこの劇場に・・・・・・??

果たして武年の復讐の行方は?
そして亡霊が寄せる、この舞台に対する想いとは?

(公式HPより)

 

 

ええっとですね、この物語の主人公って一体誰なんだ?と聞かれたら、羽沢(大光くん)だとは言い難い気がします。

どちらかと言えば、和馬(悠仁くん)が主人公的立場に置かれたキャラクターだと思う。彼は亡霊の息子であり、主演から手を出される恵子ちゃんの彼氏であり、ハムレットのセリフを全て暗記しているから。

ただ、この舞台は端役が時には主役を喰うような、そういう俳優魂みたいなものが主題なので、ビル掃除を頑張る演劇がただただ好きな1番フツーの兄ちゃんである羽沢が主役、ということなんだろうなと解釈しました。そういえば羽沢はオーディションに合格して(多分)最後召集された役者なので、(多分)唯一ハムレットのため、すなわちフォーティンブラスのために召集された役者ですね。他の人たちは基本ゲゲゲの妖怪大戦争のため(墓守の信さんのねずみ男役、見た過ぎる)に召集されたキャストなので。

 

誰の話からしたらいいんだ????となりますが、まずは恵子ちゃんからにしようかな。

恵子ちゃんは「女優になりたいんです!」と叫び続け、そのために正美からのパワハラとセクハラを甘んじて受け入れようとするんですよね。そうしないと、誰も私のことを見てくれないと。恋人である和馬の出番も増やしてもらおうとする。

舞台はお客さんに観てもらわないと完成しない。なので、お客さんに観てもらえる人をキャスティングする必要がある。彼女は知名度も人気もついでにお金もないので、だったらパワハラとセクハラを我慢してでもチャンスが貰えるなら、と思っている。

だから亡霊が見えなかったんだろうなと思います。あの亡霊は「我々の血族にしか見えない」という表現をされていましたが、要は(真の)俳優仲間ってことなんだろうなと。恵子ちゃんには「女優になれなければ、ただのデニーズのウェイトレスなんです!」というセリフがあり、東京楽の10年後ではメイド喫茶の店長になっていたらしいことをあわせて考えると、多分彼女は役者魂みたいなものは持ち合わせていなかった。

そう考えると、彼女が一番下っ端だとしても端役だとしても、共演者の洗濯物まで世話する必要はなかったかもね。先輩たちと共演する時、先輩から何かを学ぼうとかスキルを盗もうとか、役者としての自らの成長より、雑用をすることで先輩たちから気に入ってもらえれば、みたいな考えだったのかも。(一生懸命で健気ではある。でも、一生懸命≠役者魂)

 

対してひろみ(木﨑ゆりあ)は、「オフィーリアなんて嫌いよ、暗いんだもん」と言うように自分の役に愛着もないようだったし、「墓石にやっぱりバラエティーが好きって彫っといて!」というくらい、自分はバラエティーの人間だと思っているようだったけれど、サミーからのハイアットへの呼び出しは一蹴していたし、バラエティ女と罵られようとも「私は女優よ!」と言い切る矜持は持ち合わせているようだった。俳優業に執着の薄かった彼女がなぜ女優としての矜持をしっかり持っていたかというと、「私を見に来てるお客さんだってたくさんいるんだから!」だと思います。

ひろみはサッカー選手との熱愛発覚した影響もあってか、大人の方針でバラエティから俳優に方向転換されたようだったから別に望んで女優を志したわけじゃないけど、彼女にはすでに知名度があるから、女優になりたくて仕方ない恵子ちゃんでなく、バラエティタレントのひろみがオフィーリア役をやっているんですね。

 

次に、亡霊岸川和春。この人はずっといろいろな狭間をうろうろしている。自分のことをフォーティンブラスの父だと言ったり、ハムレットだと言ったり。正気(幽霊に対して正気とは)と気狂いの狭間をいったりきたり。

この人はハムレットをやるような主役級の役者ではなかった。本人はそうなりたかったんだろうけど、なれなかった。そういう悔しさを残して亡くなったからこそ、ボロボロの舞台衣装をつけて劇場に出る幽霊になった。フォーティンブラスの父として登場して、王様なので偉そうだし緊迫したシーンではすっとぼけるしなんか色々不安定だけど、「運の悪さも自分の実力のなさだと思っていた」みたいなセリフがあったから、生前の彼は気にしなくていいところも気にするような繊細な人だったんだろうね。

でも、俳優としての評価は主演をやれるかどうかではない。脇役ばかりの役者である夫を支えるために体を壊してまで懸命に働く妻と、彼の才能を尊敬し愛し、自らの生きる理由にした女優と、役者としての父を尊敬して自らも俳優の道を志す息子がいて、そして時には主演よりも観客の心に残る芝居をする役者。良くも悪くも人の人生をも変えてしまうような大きな影響力を持った、特別な役者だったというのは間違いなさそう。

私は別に不倫容認派というわけではないのだけれど、これだけ人生の全てをつぎ込みたいと思える演劇を生業にしている人が、誰もいない舞台の上で芝居を通して全てをぶつけあえる女性と出会ってしまった時、一般人であろう妻には到底敵わない絆のようなものが生まれてしまったんだろうな~みたいなことを思った。

和馬は楽屋で傷をなめ合っている自堕落な関係だと思っていたようだけど、役者魂と役者魂が触れ合ってしまった、みたいなことなんだろうな、と。

私はそういう芸術に特化した人の「生業感」みたいなものについていけないであろう一般人の妻側の人間だから、どちらかと言えばいや和春最低じゃねぇかと和馬が怒ってたように怒る側の属性(?)なんだと思うけど、なんか諦めに似た気持ちというか、一般人にはきっと理解してあげられない領域なんでしょうねぇ……という気持ちで見ていた。

 

玉代さんも、華々しく主役を飾るような女優ではなかった。決して美人ではない私が女優を続けてこられたのも…みたいなセリフもある。つまり主演を演じるような女優には、人気や知名度、そして容姿の良さが当然のように求められる。実力よりも。でも、「すべてを演じようとしていた」和春から学び、芝居のしゃっくりで険悪な空気を分断するようなスキルを持っていたし、玉代は俳優としてきちんと舞台に立っていた。

でも、玉代さんはただの愛人だ。戸籍上、ただの赤の他人。和春が亡くなった時、もうすでに妻が他界していたかどうかは不明だけど、彼の葬式を取り仕切るような立場にはなかった。彼の気持ちを頼りに生きてきた玉代が和春を失った時、彼女は何を考えただろう。

彼女が残された自分に見出した役割は、息子(後進)の育成だったのかなと思う。息子が役者を志している。和春の役者魂に一番近くで触れてきた自分が、彼の魂を息子や後進の役者たちに伝えなければいけない。

役は命よ!最後まで演じなさい!と言う人が、最後舞台に穴をあける形でこの世を去った。それは即ち、既に命を失ったということだったように思う。最後彼女は自分自身を演じていたのかもしれない。舞台に立つ後輩たちは、演劇の神様に会えたようだった。そして彼女は和春からの「よく息子をここまで立派に育ててくれた」という言葉を恭しく拝受する。この世の舞台に未練を残して化けて出た恋人とともに、若い人たちに舞台を明け渡し、この世を去った。

 

サミーさんは、若い頃青春ドラマで一発当てた俳優がちょっと年取ってきたみたいな感じ?ロックンローラー辰之助さんが先輩ってことは歌手でもあるのかな、ハムレットでも本編終わった後の歌のほう張り切ってる感じするし。よくわからないけど。

彼はカンヌに出品するような映画に出演予定だったのに、監督の奥さんである女優さんを誤って怪我させてしまったことで、役を降ろされてしまった。恐らく、やっと掴んだチャンスだったんだろう。彼はハムレットでは権力を振りかざす側だけど、権力によって役を降ろされた側でもある。(で、なんで監督とその奥さんが舞台見に来るのかは謎。)

でもその監督と奥さんが見に来たこともあって、そして何より後輩たちからの言葉で彼はスイッチが入って演劇の神様に出会えたんですよね。あれだけ傍若無人に振る舞っていたサミーさんにですら救いの手(?)が差し伸べられる脚本で、私はずっと彼にイライラしてたんですが笑、演劇の神様は本当に「演劇の」神様で、人間性度外視で演劇に真摯に向き合えているかというところを見てくれるんだから懐が深いね。

野良犬というのがディスってる言葉だというのは分かったんですが、具体的にどういう意味なんですかね。ふらふらしてて俳優業に腰が据わってないみたいな意味?

また共演者を傷つけてしまうかもというトラウマで剣が振れないサミーさんに「(もし誤って剣で怪我をさせられたとしても)皺が一本増えるだけだ」って言ってくれた辰之助パイセンかっけーっす!!

サミーはクズだけど、主演でハムレットの舞台ができる程度には人気だし、サラッと書いたサインで入院中のファンの子(辰之助先輩の娘さん)の白血球の数値を通常に近づける力を持ったスター。どんなにクズでもやさぐれていても野良犬と揶揄されようと、「俺たちの憧れなんだよ!」と言われる人で間違いない。

 

和馬はずっと怒ってる。不真面目な共演者、枕営業をする彼女、中途半端な父親、父親の愛人、あまりに怒る対象が多すぎる。全員にきっちり怒っていて、和馬の怒りを中心にストーリーが展開していると言っても過言ではない。

私は原作(ハムレット)を履修してから行ったので、ハムレットのセリフが出る度にいちいち「あぁあの場面の…」と思いながら見ることができたのですが、古典の原作のセリフを一番言っていたのは間違いなく悠仁くんで、とっても頑張っていたと思います。

和馬は決して楽ではない人生を送ってきた人だし、このストーリーで一番心揺さぶられているキャラクターだと思うけど、その真面目さと意志の固さでスターの座を手に入れるらしいので、スターになる前日譚としてこの鬱屈とした日々もいい肥やしになるんだろうなという目線を手に入れてしまったら、それ以上に感情が出てこないというか。

共演者に不真面目なやつは嫌いだ!と怒ったりするけど、和馬だって感情で自分の役を投げ出そうとしたんだから、この時は俳優としてはまだまだだったってことだと思います。

最初の「はじめ!」の声がめちゃくちゃいい声~って思ったのと、オズリックの羽根つき帽子似合いすぎてた。

悠仁くんはとにかく鬱屈としていて、私は悠仁くんの普段をあまり知らないんだけど、大光くんと一緒に出てる雑誌のインタビューを見た感じだと普段の彼にそんな印象は全くないので、それは努力の成果なんだろうなと思いました。

 

そして羽沢。彼はサミーさんに派手にイラついていますが、本人もがっつり遅刻をしており、台本はちゃんと把握してないし、台本に無いことを勝手にやろうとするしで、全然俳優としてちゃんとしてない笑。

ここまで書いて思ったことは、羽沢は若さの象徴なのかも。純粋無垢で、未熟で、でも無限の可能性を手にしてる。役も「あんなことやこんなこと」をしたとか、何か実績があるからではなく、オーディションで手にしているし。

話の進行上、羽沢(普通の兄ちゃん)とフォーティンブラス役(王子)がコロコロ入れ替わるんだけど、その切り替わりも、グラデーションも見事だった。舞台裏のおふざけのフォーティンブラスから、本当にフォーティンブラスになっていく過程が。

佐々木大光というアイドルを知っていれば彼がどちらかというと面白担当アイドルであって、羽沢の親しみやすさのある青年役の方が本来の大光くんに近いと誰もが思うと思う。

でも、私は彼の本領は王子の方にあると思った。王子として、気高く凛々しく立ち振る舞う姿が本当に美しくて、これが彼の持つ本質だろうなという気がした。(天賦の才であるスタイルの良さも手伝っている)

競争の世界で、どんな立場に立たされようとも自らを研鑽し続ける気高さ。無理だと感じてしまうような壁にも怯まずに立ち向かってきたという経験。人から見えないところで悩んだり試行錯誤したりともがいてきたこと。そういった彼が既に手にしている財産が王子の気高さや凛々しさに説得力を持たせたと思う。舞台中央からフォーティンブラスとして登場するシーン、本当に迫力があった。「例え倒れたとしても、何故行けと言って下さらないのですか!」のところもはちゃめちゃに良かった……言って欲しかっただろうし……

もちろん羽沢の方も、亡霊に「復讐を誓うか!」と責め立てられた時の、なんとも情けない「はぁい!」という返事や、体の使い方でコミカルさや感情を表現するあたりはさすがだなという風にも感じて、得意な歌やダンスに頼らないストレートプレイで魅力を見せつけたとも思う。

 

 

主要キャスト3名はアイドル出身者。

みんなそれぞれ素敵ではあったけど、声量や滑舌等において、他の役者陣と比べると若干引けを取ってしまう部分は正直あったとも思う。

それでも主演、主要キャストは彼らに託された。

それはサミーさんが主演を任されるのと同じ。

現役の、しかもまだデビュー前のアイドルを「端役の主演」に据えて上演するこの演目、若干グロいなと思わないことも無いんですが、事務所は好きそうではある笑。

 

アイドルが舞台に立つこと、主演を務めることは演劇界の衰退になるだろうか。興行として成功させることを念頭に置いた舞台は、舞台という芸術への冒涜だろうか。力のある役者の躍進を阻害することになるだろうか。

 

答えはNoだと思う。それが、この舞台が出した答えだろう。

与えられた役を全うすることが、素晴らしい舞台を作る。実力順に早い番手が与えられる訳では無い世界で、不安や不満を抱えながらも、それでも与えられた役を全うすることで素晴らしい舞台が生まれる。

「逃げてきたんじゃない」、そして「ここから羽ばたいていくんだ」という情熱を持って挑む役者には、演劇の神様はきっと微笑んでくれる。それが例え主演を務めるというような対外的に見た明らかな成功でなくとも、役を全うすることには必ず意味があると信じたい。

 

劇中で「こやつはまだ何も成し遂げてはおらん。しかし、いずれ何かを成し遂げる男だ」というセリフに対してオフィーリアが「はい。それを信じ、愛します」と答えるセリフがあるんですよね。

この「いずれ何かを成し遂げる男」を「信じ、愛すること」が所謂アイドルオタクの根源だなぁと思いました。

 

ものすごい具沢山というか全部盛りみたいなお芝居で、高速の台詞回しでものすごいセリフ量なのでカロリーが高い感じがしますが、ハムレットの登場人物の役として言葉を発するからこそすんなり伝えられる、すんなり感情を受け取れるという場面もあり、そういう点で見ても面白い舞台だったなぁと思いました。

 

私は推しの成長や進化を楽しみにオタ活しているタイプのオタクなので、さらに進化した大光くんを見られて大変嬉しい観劇になりました。めっちゃ良席でまじで近かったしな……!(チケットの神様ありがとう)

最後にオタク人格爆発させていくけど、髪の毛は超サラサラで綺麗な金髪、おめめはきらきら、股下はなが~くて、本当に綺麗だったよ!!!素敵でしたまじで!!!!あと、太ももが素敵でした!!!!!(客降りの際、目線が太ももくらいなので)(冷静に考えてそんなわけない)(でも本当に太ももがかっこよかった)

グッズのアクスタとか写真とか雑誌とか、彼らが被写体になることがメインになる仕事に対してかっこいいー!って言うのは大丈夫なんだけど、彼らのお芝居やらライブやらに対してかっこよかったー!みたいな感想に終始するのは嫌だなと常日頃思ってはいるんですが、そう思ってもなお本当に綺麗で素敵だったと言わずに居られない素敵さを浴びました。本当にどうもありがとうございました。