好きな人やものが多すぎて。

自分の情報収集記録用。7 MEN 侍。SexyZone。

私の音楽遍歴(水バナvol.040を読んで)

遅くなりましたが、矢花くんが好きな音楽をまとめてブログ書いたら?って言うので私の音楽遍歴を書きます(従順)

 

思い返してみて思うのは、私あんまり音楽好きな人って感じじゃないなってこと笑。

歌うのは好きな方(上手くはない)だけど、音楽を自ら探し求めた記憶が全然ない。

基本的には気に入った曲(or人)を延々と聴いてる方だし。

 

なので全然多彩じゃない音楽遍歴なんですが、矢花くんが書いたら?って言うので書きます(従順)

 

幼少期

3歳からピアノを習い、4歳か5歳にはエレクトーンに転向。

エレクトーンって一般的に知られてるのかな?

鍵盤が上段と下段2段ついていて、足元にも足用の鍵盤がついてる電子ピアノです。

つまり、自分1人でメロディー弾いて(右手)伴奏弾いて(左手)、ベース音(足)も弾くっていう代物なんですけど。

3つの鍵盤にそれぞれ違う音色が振り分けられたり(右手・左手・足でオーボエ・ピアノ・コントラバスの音をそれぞれ演奏したりできる)、いろんなジャンルの音楽の簡単なリズムパターンみたいなものも内蔵されてて、それに合わせて演奏することもできたりして、なんか重ね録りとかでなく一発本番で全部自分で完結してやるぞ!みたいな、気合の入った楽器です笑。自由度はすごく高い。

だからピアノの楽譜を見てある程度なら音符を追うことはできるけど、演奏を聴かせるみたいなことは全然できない。エレクトーン育ちなのでタッチっていうのかな、弾き方がピアノじゃないので、何とも不明瞭なぼやっとした音になりがち。ピアノでの表現力が皆無。

姉は普通にピアノを習ってバイエルみたいなものをやってたんだよな。なんで私はエレクトーンだったんだろ。私がやりたいって言ったのかな…今度親に聞いてみよう。

 

聴いてた音楽はなんにも覚えてない。ディズニーのビデオは擦り切れるくらい見てたから、ディズニー音楽かな。しかも何故か全編英語のやつ。何言ってるか一切分かってなかったけど、雰囲気で楽しんでた。

 

小学生

音楽に取り立てて興味があった子ではなかったと思う笑。

ただ家にJ-POPのCDはたくさんあった。父親がお酒飲んで帰ってくる日はなぜかお土産にその時流行ってるCDを買って来る人だったので笑。

SPEEDとかは自ら聴いてたかな。ジャニーズならKinKiとかV6のCDも結構あった気がする。

父親が井上陽水、母親が小田和正とかABBAとかが好きなので、よく流れてました。

歌は好きで、学校の合唱部と地元の合唱団2つ入ってました。

 

中学生

引き続き流行の曲を聴いてた感じ。

年に5日しか休みがない、軍隊のような部活に入ってたので音楽どころじゃなかったんですが笑。

宇多田ヒカルとかあゆとか聴いてた。

あ、初めて自分のお金でCDを買ったのが中学生だった。

はちゃめちゃに仲良かった子と元カレが2人ともガチガチのラルクファンで、その2人の影響で中3(部活引退後)はラルクを聴いてました。

初めて買ったのはラルクの「ray」と「ark」。

 

高校生

こっから私のバンド経験が始まる。

私は中学で膝を痛めてたので、バレーを続けるつもりも部活をやる気もさらさらなかったんですが、同じ中学からバレー部に入った男の子に「マネージャーが1人もいないからやってくれ」とお願いされて、まずは男子バレー部にマネージャーとして入部。

私が入部当時3年生だった先輩のうちの1人がバレー部と軽音部を兼部していて、「軽音部に顔出すけど、一緒に来る?」って誘ってくれた。なぜ誘ってくれたかは謎。

当時の軽音部は同好会で、3年生が3人だけ。バレー部の先輩はベースをやっていて、ギターの男の先輩と、ボーカルの女の先輩がいた。

ギターの先輩はすっごくフランクで優しい先輩だったんだけど、ボーカルの女の先輩は目は全く合わないし、極度の人見知りでおどおどしてる感じの人だった。後輩の私に終始敬語だったし、なんなら私と会話する時はギターの先輩を経由して私に話しかけてたくらい笑。

でも、歌うと雰囲気がガラっと変わって堂々としてめちゃめちゃカッコいい。そして超絶歌が上手い。憑依型っていうのかな、本当にかっこよかった。

ギターの先輩は、ボーカルの女の先輩の歌を聴いて惚れこんで、部員ゼロで廃部状態だった軽音部を同好会として復活させたらしい。

そこでその先輩たちがカバーしてたのがSHAKA LABBITS。先輩たちからCDを借りて、めちゃめちゃ聴いてた。軽音部の先輩と仮病で一緒に早退して、ライブ行ったりもした。

で、なんかうまいこと言いくるめられて(?)ギターの先輩にスコアの見方を教えてもらってドラムを始めた。

ドラムがいなかったからドラムを始めたに過ぎないんだけど、手足をバラバラに動かすっていうのは、今思えばエレクトーンの経験が若干生きたのかもしれない。

 

3年生の先輩方が卒業して、軽音同好会は私ひとりだけになってしまったので、毎日昼休みに新1年生の教室をまわって勧誘をしまくった。

そしたら6人くらい入ってくれて、とりあえずバンドができるくらいは集まった。

この時によくコピーしてたのがGO!GO!7188。他にも色々やったけど。

あと聴いてたのは幼馴染の影響でBUMP、仲良しだったサッカー部のマネージャーの影響でマキシマムザホルモン(「ゆゆ」っていう名前は、この子との間でだけ通じる私のネタネーム笑)とか。そんなにたくさんのアーティストを聴いてた感じじゃなかったな。

クラスメイトに音楽マニアがいて(今音楽プロデューサーやってる。結構有名な方々にも楽曲提供したりしてて、シンプルにすごい)、言えばなんでもCD貸してくれるので、彼からCD借りまくってた。

 

あと部活だけでなく、大学生の人とバンドも組んでた。

放課後バレー部のマネージャーとして部活に出て、その後夜バンド練。

外部の方のバンドはギターボーカルが作詞作曲する人だったので、オリジナルをやってた。

そして、私に東京事変を教えてくれたのもこの人。この人から群青日和を借りて、私の東京事変ファン歴がスタートする。

3年生になって部活は引退。2~3年前に急に気になって調べてみたら、母校の部活リストに「軽音部」があった。一時は私しかいない予算ゼロの同好会(同好会には部費予算がつかない)だったけど、同好会から部活に昇格して定着したっぽかったので嬉しかった。

軽音部のへこんでるスネアが部費で新調されてますように笑。

 

大学生

親友と呼べる人と出会い、その子が鬼塚ちひろが好きで私と同じくらい歌が好きだったので、めちゃくちゃカラオケに行ってた。

今考えれば異常だったなと思う。2人でオールカラオケ12時間とか行ってたし、酷いとカラオケ行きたすぎるのに時間が少ししか無い!って日は、2人でカラオケ行って別々の部屋に入ったりしてた笑。

椎名林檎はFCにも入って、東京事変とともに高校から変わらず私の音楽の中心。

他には鬼塚、Cocco、シドあたりのいかにもな曲(笑)を中心に、フジファブリックアジカン、RADとか。

一緒にバンド組んでた子がELLEとかが好きだったからちょこっとかじったり(今ギタークラフトマン)、あと東京事変から派生してPE’ZH ZETT M、ペトロールズ、あっぱ。

とくにペトロールズは狂ったように聴いてる時期があった。

あとなんかあったかなぁ…。通学時間が長かったので、音楽も小説もよく摂取してました。

 

社会人

音楽からはかなり遠ざかった。

生きるか死ぬかのブラック企業に勤めてたので音楽どころじゃなかったし笑、そこを脱してからも、ちゃんと追いかけてるのは東京事変椎名林檎だけ。

音楽が日常に存在してなかった。お笑いばっかり見てたし。

あ、でも某芸人さんがライブで紹介してた女王蜂と、サカナクションは好きになった。

 

 

多分、私が音楽に求めてたものって「日常をごまかしてくれる」ってことだったのかもしれない。

代わり映えのない毎日からいったん離れて、没入させてくれる存在というか。

だから個性が強かったり感情移入しやすかったり物語性が高いような音楽が好きだった。

社会人になってからは、そういうのがあまり必要じゃなくなったんだと思う。

 

病気をして仕事が一切出来なくなった時期があるんだけど、それ以降はもうちょっと素直に音楽を受け入れられるようになったと思う。

音楽に対してもそれ以外も、だいぶおおらかになった笑。

 

だから多分ジャニーズにも目が向いたんじゃないかな。

驚くべきことにですね、今まで挙げたアーティスト、全員誰かに勧められて聴き始めてるんですよ、私。勧められたまでいかなくとも、誰がカラオケで歌ってたのきっかけで知ったとか。

全部書いてたらきりないけど、冷静に考えたらきっかけは全部友達とか先輩とかで、明確に誰の影響で聴き始めたっていうのがあることに自分でもびっくりです。

 

なので、誰から勧められた訳でもなく好きになったのは、1年前のSexyZoneが恐らく初めて。

SexyZoneがイメージに反して歌が上手かったのと、404→ライネク→レツミュの曲たちが従来のSexy Zoneのイメージをいい意味で裏切ってたので、いわばギャップ落ちなのかもしれない。

 

病気以降は歌詞があんまり気にならなくなったんだよなぁ、何故か。

特に若いころはかなり歌詞ありきで音楽聴いてた気がするんだけど、その比重が落ちた。

音楽に没入するというより、音楽が流れていることが大事になったというか。

実際音楽をじっくり聴くというよりは何かをしながら音楽をかけてるし、よりライトに受け取るようになったのかもしれない。その代わり、生活に密着したものになった。

 

アイドルが歌う曲って今まで歩んできた軌跡みたいなもの込みで聴くとより楽曲のストーリー性が増すので、それが私にとっては新しい経験で鮮烈で良かったのかもなぁ。

 

夏には風磨くんのドリボきっかけで7 MENを知り、ずぶずぶと沼にハマっていったわけですが、何がきっかけだったのか、どこが好きなのかを言語化するのが難しい。

沼落ちを(抵抗を諦めて笑)自覚した瞬間は明確に覚えていて、矢花黎ドリボサイレント欠席事件なんだけど笑。

 

矢花くんの狂いっぷりに度肝抜かれたっていうのが間違いなくスタートではあるし、woofer887と矢花黎のジャニーズとしての異質さに衝撃を受けたものもちろん大きいし、サイレンがめちゃめちゃ好きっていうのもある。

でも絶対それだけじゃないもんなぁ。気付いたらやばたい寄りの箱推し(強いていうなら大光担)だし。

侍のビジュアルも今となっては全肯定でぎゃーぎゃー言うとりますが笑、ビジュアルに関しては好きになったから好きになった部分は大いにある。

 

大光くんの魅力は、バンドでもダンスでもスキルが高いってところと、声がはちゃめちゃに好きなのと、狂犬なのに実は真面目で心配性でありながら達観した視点も持ってるそのアンバランスさと、あとはスタイルお化けってとこですかね…(重度のスタイルフェチ)

そういう魅力と強い個性がメンバーそれぞれにあって、バラバラなのに調和してグループとして成り立ってるっていうのが最大の魅力かなぁ…。

そう考えると、7 MENは私が初めてアイドルとして好きになったグループなのかもしれない。(SZは好きになったアーティストがアイドルだった感覚の方が強い)

 

まあ私の音楽遍歴を辿るうえで7 MEN 侍が欠かせない存在になっているのは確実。

なんせ私は矢花くんの影響でベースを再び始めた。(本当はまたドラムがやりたくて仕方ないけど、ドラムは自宅で練習環境を整えるハードルがなかなかに高いので)

曲の雰囲気や、歌や声ばかりに注目して音楽を聴いていたところから、ベース音を拾ったりドラムの音を拾ったりして聴くようになったし、エフェクターによる変化を注意して聴いたりもするようにもなって、音楽をより多角的に楽しめるようになったのは間違いなく侍ちゃんたちのおかげ。

音楽に関してずーっと受動的だった私をここまで動かすんだから、やっぱり7 MEN 侍が持つパフォーマンスの力ってすごいんだろうなとこのブログを書いて改めて思った。

 

今はねー、もう本当にベースが上手くなりたくて。

スキルも無ければ知識もなくて、成長速度はめちゃめちゃゆっくりだと思うけど、とにかく楽しいんだよね。

やったらきちんと上手くなってる感じもするし。やらなかったらちゃんと下手になるし笑。

 

推し事としても、趣味が増えたって意味でも、人生が豊かになったので7 MENには感謝です。

 

 

はぁー!!長かった!!!!

こんなに長くする必要は絶対になかった!!!笑

 

でも色々思い出して楽しかったです。

ちょうど今高校の時にドラムとしてコピーしてた曲でベースの練習してるんだけど、当時自分がドラム叩いてた時、どれだけ周りの音をなんとなくで聞いてたのかを痛感している笑。

みんなで音を合わせてCDを再現できるなんてなんだか凄いことをやってるような感覚だったけど、実は音としてはかなりシンプルだったんだなって気付いたりね笑。

 

これ書いてたらベース触りたくなったので、ちょこっと練習してきまーす。