好きな人やものが多すぎて。

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DADDY(4/17)感想垂れ流し

あのですねーーーー!!!

まず最初に言わせて欲しい。

私、今回上手く観劇できませんでした。

 

とにかく席が前すぎまして。

色々なものが細かく見えすぎたが故に、その目の前の事象に意識を持っていかれすぎて、作品として全体を受け取りきれなかった。これは単純に私が前に慣れていなくて、観劇が下手くそすぎるせいです笑。

 

そういう前提があって感想を書くので、もやっとふわっとすると思います笑。

いつも以上にまとまりのない、思いつきで羅列したような内容になります……

 

 

まずは嶺亜くん。

人間で、男性でした。(頭悪すぎる感想)

 

最近特に、女の子みたいに可愛いもちもちおもち嶺亜くんを雑誌やらなんやらで沢山見ていたのに、めちゃくちゃ男性だった。

なんだかもう知らない人みたいだったな。なんだろう、何が違ったのかよく分からないけど、凄みみたいなものがあった。

サマステの時もかなり前で、目の前でファンサする嶺亜くんを見てる時は本当にきらんきらんの、カメラを通してみる嶺亜くんを100倍パワーアップさせた感じで衝撃だったんですが、イメージの違いみたいなものは一切感じなかった。

手紙の時も、わぁ!嶺亜くんだー!と思った。(というか、手紙は完全に原作を嶺亜くんをイメージしながら読んでから臨んだ)

 

でも今回は違ったんですよね。

それが近すぎて下から見上げていたからなのか、役柄によるものなのかよく分かりません。素敵だったのは大前提でね。

 

歌もダンスも嶺亜くんの進化を感じる舞台でした。

嶺亜くんの引き受ける力?みたいなのをすごく感じたなぁ。

歌唱指導の先生からも嶺亜くんの努力に関するお話があったけど、任されたらこの人はなんでもやっちゃうんだろうなって。やり切れる人なんだろうな、みたいなことはすごく思った。

ピッチがとにかく安定してた。もう不安感すら無くなった。

 

話は逸れますが、私最近YouTubeの誰かもよく知らないカップルチャンネルの子どもができたドッキリshortみたいなものが流れてきて目にしたんですが、それを見て盛大に「いやまじ????」と思ったんですよね。

動画では子どもが出来たと勘違いするようなことを彼女に突然言われて、喜んでいる彼氏を隠し撮りみたいなやつだったんですが、突然子どもが出来たと聞かされてまず嬉しい!ってなる?なるの??普通の人ならなるんですか???そうですか、すいません()

 

だって、人が生まれてくるんですよ。

計画していて念願の!だったら喜ぶのは分かる。

でも結婚もまだで、ドッキリな訳だから子どもをつくろうって計画もしてないわけでしょ?

私ならまず不安が勝つ。ちゃんと思考も知識も現実に追いつかせないと、という不安とプレッシャーがまずくると思う。

だって、親として知っているべきことを知らなかったら赤子は死んでしまうよ。はちみつを1歳未満の子どもに与えたら死ぬとか、うつぶせで寝てたら死ぬとか。「知らなかった」では済まされない。

私は心理学を学んでいた頃に発達障害児と関わるボランティアをしていた経験があるので、自身の子が何かの病気ではないかとか、何かの障害があるんじゃないかとか、小さな違和感から知識と行動に繋げる作業も必要だし、そこからケアの仕方・対応の仕方から、どう子どもと自分たちのメンタルを安定させるかにまで意識をめぐらせて勉強して、親ってなんて大変なんだと思ったりしてました。(発達障害児の親向けのセミナーのお手伝いをしてたせいもある)

少し前に、甥っ子が最近自分の手を見つけたようだ、と姉から聞かされた。自分に手があるのにも気付かないまま数ヶ月生きてきた生命体。言葉も当然通じない、その命を守らなきゃいけない。そんなのどう考えても大変に決まってる。

 

そんなことを最近思ったところだったので、結婚もまだのこーすけが突然「息子です!」って現れた未来の子どもを混乱して受け入れられないのが当然だよね、と思いました。(突然だった以外に理由があったのは2幕で明かされますが)

親は子どもに育てられるってガーすけと同じテーマですね、と思ったり。(そういえばガーすけにも「強く願えば叶うよ!」ってシーンあったね)

最初から親の人なんていない。

 

印象深かったのは、息子と抱き合うこーすけと、ダディと抱き合うこーすけが全く違ったということ。

息子と抱き合うこーすけは本当に頼もしくて子を大切に慈しむ気持ちを感じられたし、ダディと抱き合うこーすけはやっぱり息子で、甘える側だった。

親になっても、息子でもある。

これを見て、私の親だって祖父母の子どもなんだよな、みたいなことを思いました。

私の祖父母は全員他界してしまっているし、自然の理として祖父母が先に亡くなるのは普通じゃないですか。

でも親を失った私の親にとって、自然の摂理であっても、親を失う悲しみってきっと小さくならないんだろうな、とか。私の両親は両家の祖父母の写真を居間に飾っている人達なのでね。

幼くして父を失ったこーすけの衝撃と喪失感が大きかったのは当然のことで、親子関係で埋めるべき大きな空白を埋められなかったと感じるのも当然。

私自身だって来年も再来年も生きるつもりではいるけど、そうできるかどうかは分からないなとか。私がもし突然死んでしまった時に影響を受けてしまう人達に、私は生きてる今何ができるかな、とか。

 

……こんなことを思ったのに、爆笑したし明るく楽しい気持ちで観劇していたというのは、本当に舞台が持つ力だな、という感じがしました。

私がファミリーミュージカルって聞いてイメージするのは「おかあさんといっしょ」のコンサートとかなので、普通は子ども向けにつくられているものだと思うけど、その枠にとどまらず大人の心も動かすDADDYっていう作品は深みがあって素晴らしかったなと思った。

 

途中うんことかおならとかでてきて、いい大人でうんこやおならを喜ぶ人は多分あまりいないと思うけど笑、子どもがもう絵に描いたように笑い転げていて、子どもがこんなに楽しそうに笑うんだったらうんこもおならも正義だよなと思いました笑。

 

 

あまりに近くて、リアクションが大きかったりじっとしていられない子どもが目の前にいたり、静かなシーンで声を出してしまう子どもがいたりする中で、集中力を切らさずにお芝居できること自体凄いことだなみたいなことも思いました。

大和田さん、だいすけお兄さんの目にうっすら涙が浮かんでいるように見えたりもして、この環境でしっかり入り込めるのは凄い。素人みたいなこと言って逆に失礼かもしれないけど。

 

アンサンブルの皆さんも、本当に本当に本っっっ当に素晴らしかった。

物凄い運動量で汗をかいているのもはっきり見えたし、でも呼吸は盛大に乱れてる感じがしなくて、完璧なパフォーマンスの合間に優しく子どもと目線を合わせていたり、浮世離れしたプロフェッショナル集団で、本当に夢の中の人って感じだった。まじで人間?これマチソワやってんの??正気???みたいな笑。

目力というか顔の圧がある派手顔俳優さん方に圧倒されたし、アンサンブルの皆さん本当に好きだー

現実ショコラちゃん(?)が同級生に激似でした(まじでどうでもいい情報)

 

あと特筆すべきは衣装・美術関係ですかね。

衣装の縫い目まで良く見えましたが、衣装も小道具もセットも本当に丁寧に作り込まれていていたな、という印象です。(虹がちょっと破損してたのも後半公演のリアル笑)

あれだけの色んなパターンがあったし、子ども向けだったのに全くちゃちい感じがしなかったのも良かった。

 

生バンドの方々が舞台後方にいたんですが、ちゃんと物語の一員の役割を担っていて大好きになりました。

 

衣装や小道具・音楽・生バンド・アンサンブルの素晴らしさがDADDYという舞台をより上質なものに押し上げていた感じがしました。

 

宇宙のダディが全ての命のダディでしたが、私は音楽の生みの親である掃除のおじさんからめちゃくちゃ父性を感じました。

あの方がキャスティングをした訳ではないかもしれないけど、あの方が人生の中で生み出してきた数々の音楽で、あの方が伝えたかった想いを乗せた舞台の主演に嶺亜くんが選ばれたこと、ありがたいしとても誇りに思う。

嶺亜くんが主演してくれたおかげで、良い経験が出来ました。(嶺亜くんじゃなかったら絶対に行かなかった舞台なので)

 

あと、ショコラちゃんが最高だったのは言うまでもないって感じです。

 

これは舞台に限らずですが、何か伝えたいことがあった時にどう伝えるかってすごく大事じゃないですか。

どう伝えるかで届くものって変わる。

ファミリーミュージカルとして、明るさと楽しさの中にどっしりした核を据えて伝えるという方法が、決して子どもにおもねっている訳でなく、大人に伝える手段としても楽に深くまで届ける有効な方法なのかもしれないと思いました。

小さい子はもちろん、中学生、高校生くらいの年頃の子にも是非見て欲しいね。それくらいの年代だったら、親に連れられてじゃなくて痺愛として見に行った子もいるよね、きっと。

私は人の感想にはあまり興味が無い方なんですが、それくらいの年代の子がどういう感想持つのかにはちょっと興味がある。

 

DADDYを間近で見て、私はなんて頭の中がうるさくてあっちこっちに意識が飛んでしまう人なんだろうというのを自覚したので(衣装の縫い目なんて見えても見るなよ……笑)、そのあたりをもう少し鍛えられたらといいなと思いました。笑